TMOに寄せて 歌舞伎町2丁目町会会長 コラム 続き...
歴史的に言えば 歌舞伎町に町名変更されたのは最近のことで昭和53年
でしたが、以前は西大久保1丁目という町名でした。
終戦直後、歌舞伎町1丁目を民間主導で区画整理し、今日の歌舞伎町の繁
栄の礎を築いた隣町の角筈北町会の町会長鈴木喜兵衛さんが大変有名ですが、
一方でこの区画整理のあと、それに隣接して西大久保1丁目の区画整理を組
合長として完成させたのは四方謙治さん(新宿中村屋の創業者一族)で、我
が家のすぐ近くにいらっしゃいました。父は新宿中村屋さんの工場と寮が
あったことをよく覚えております。四方氏は淀橋区の行政区長を務めていた
こともあったそうです。四方氏や当時の町会の幹部役員が町内を回りながら、
木槌を持ち杭を打って区画整理を行ったと聞いています。
鈴木喜兵衛さんが歌舞伎町の構想を練ったときに、頭のなかにあった基本
的な考えは「道義的繁華街」で、中山区長さんの言葉で言えば「歌舞伎町の
DNAは大衆文化」となります。この基本を押さえながらルネッサンスを推
進していきたいと思います。
TMOとの関わりでいえば、民でもなければ公でもないどちらの良さも併
せ持つ組織として、是非この街の発展に寄与してほしいと思います。
特に公共空間を利用した街づくりは、このような組織の設立が欠かせないと
思います。
シネシティ広場や大久保公園など歌舞伎町の貴重な公共空間を活用して、町
を活性化しようという目標に向かってがんばっていきたいと思います。
まちづくりはまだまだ途上であり、鈴木喜兵衛さんや四方謙治さんを考え
ると、その道のりは平坦ではないし、まだまだ続く、いやこれからが本番で
あろうと思います。
また町づくりという点では私は一級建築士としての職業的矜持もあるので、
これからもできるかぎり頑張って行きたいと思っています。
その意味ではどこの町会でも商店会でも同じですが、次世代を育てること
が急務であろうと思います。
バブル崩壊後、街を去る人々が増えている厳しい中ではありますが、この
点もじっくりと取りくみたいと思います。













